全体と部分を区別する
金曜日, 8 月 31st, 2007先日、ある会議で二人の人が、激しく対立してしまいました。一人の方が使った「非常識」という言葉に過剰に反応したために起きた対立です。「非常識とは、なんだ!不愉快極まりない。」と過激に反応したのですが、その人は、まだ年齢が30歳代の若い人でしたから、年上の方も「いったい誰にものを言っているのだ」と応じたのです。
このような状況になると、事態は一気に悪化して会議に参加していた数人の人も、どうすればいいかわからなくて、黙ってしまいがちです。この対立も、そのような展開になりそうでした。
議長は私でしたので、若い人に向かって次のようにいいました。「Aさん。お願いがあるのです。ちょっと聞いていただけますか?」一呼吸おいて、「私は、Aさんの意見を尊重しています。Bさんの言われたことは、Aさんが非常識だということを言いたいのでなく、Aさんの先ほどの意見は、一般論として非常識だといっているのだと思います。それは、私にも他のみなさんにも当てはまることです。Bさん、いかがですか?」
Bさんは、「そのとうりです。」と即座に返事しました。続けて「Aさん、今までAさんが、いろいろ述べてこられた意見に、Bさんはしばしば賛成し支持してきました。それは、Aさんも知っていますよね。」と伝えました。
ようやく、Aさんも落ち着いてきて、なんとかつかみ合いのケンカにならずにすみました。この例は、人の「批判」に対する受けとめ方の難しさを考えさせます。相手を上手に批判することは、とても難しいことですが、それ以上に難しいのが、相手の批判を上手に受けとめることです。人の批判を、自己成長のよい機会ととらえて耳を傾けられることが、人の度量を決める一つの要素です。
この事例のAさんは、ある一部の行動を非常識と批判されたのに、自分全体が非常識と言われたとして、腹を立てたのです。もし、自分に自信があれば、自分の行動のどの部分が非常識なのかに興味を持つこともできるのです。それをしないで怒りで反応するのは、自分の非常識を隠すための行動であり、もしかしたら、かなり非常識なのかもしれないのです。
